つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
モチイエ女子webにて、エッセイなど多数寄稿いただきました 雨宮まみさんがご逝去されました。心からお悔やみを申し上げます。 感謝と哀悼の意を込めまして、これまでの雨宮さんの作品、およびご出演いただいたコンテンツは、このまま掲載させていただきます。 どうか、ご愛読いただけますと幸いです。
おうちの一部にフォーカスをあてる「家のここが、気になるの」。
女性のおうちへのこだわりや愛着をひもとく“暮らし”エッセイ。
リビング……。
いきなり絶句してしまうほど、リビングというものには縁がない。
一人暮らしを始めるときに、いちばん憧れたのはソファを置くことだった。二人がけぐらいのソファがあれば、来客時にもいいし、自分がソファでくつろいでいるところを想像しても最高に気分が良さそうだ。寝そべって、肘掛に足をひっかけてお行儀の悪い姿勢で本を読んだりするのは最高だろう。ソファなんだから、普通に座って思いっきり背もたれに寄っかかってもいい。背筋をシャンと伸ばさなくても、背もたれが受け止めてくれる。
ソファは私にとって、くつろぎの象徴であり、憧れの存在であった。
しかし、一人暮らしを始めたのなんて、18歳の頃のことである。ソファぐらい欲しけりゃこれまでの間に買ってても良さそうなもんだし、実際に探してみたこともあった。
しかし、どうも、ピンと来ないのである。単にいいソファ、好みのソファに巡り合えていないだけ(もしくは巡り合えても予算や大きさが折り合わないだけ)なのかもしれないが、ソファなしの暮らしをこれだけ長くしてしまったせいなのか、ソファのある暮らしがうまく想像できなくなっている。
ここまで書けばさすがにお察しの方も多いだろうが、うちにはそもそもリビングと呼べる空間がない。ワンルームなので、というのもあるが、ワンルームでもリビングっぽいスペースを作っている人もたくさんいるのだから、単に私のせいである。
お客さんの少ない家だということもある。けど、それも考えようで、リビング的なくつろぎスペースがないから人を招きづらくなっている、と言うこともできるし、リビングがあればもっと人を気軽に呼んでいるかもしれない。「お客さんが少ない」というのは、リビングがないことの結果であって、原因ではないのだ。うう、掘り下げれば掘り下げるほど、家のあり方が自分の心のあり方を映し出しているようでがっくりきてしまう。
担当編集さんが「がんばってソファを買ってはみたものの、ほぼものを置く場所と化しています」と言っていたのを聞いて、ちょっとホッとしたぐらいだ。確かに、うちにソファを置いてもそうなる気がする。だいたいソファって、意外と使いでが悪くないですか?ソファとセットになるテーブルが低すぎて、お茶はできても食事はしづらいし、もちろんあんな低いテーブルでPCなんて使ってたらどえらい猫背にならざるを得ないし、ソファに寝そべってPCで仕事するとかいうのもアリだけど、賭けてもいいが10分以内に首が痛くなるに決まってる。
なのに、「帰宅するとふかふかした、寝そべっても良い椅子が家で待っている」状態というのは、やっぱりとってもいいように思えて仕方がない。
私の部屋のように、スペース的にソファを置くのはちょっと難しい、という人もたくさんいると思う。そういう部屋でリビング的な風味を醸し出すにはどうしたらいいのだろうか。
うちの場合は、家にあるスツールと、デスク用の椅子をチェストの前に移動させて、チェストの上にテーブルクロスをちょこっと敷いて、そこでお茶をするという流れか、椅子にきちんと座っているのがだるいくらいの場合は、床に座ってもらって、トレイにお酒などを置くようにしている。
つまり、クッションとラグがあればそれでいいんじゃないだろうか。そう思って、私は何年も前にすごく大きなクッションを買った。チベットのものだったと思うけれど、かぼちゃを平たくしたような形の丸いクッションで、どん! と座れる。壁際に置けば、壁にもたれることもできるので、なかなかいい感じだ。
買ったときは、このクッションの上でくつろいで読書をしたり、お茶を飲んだりしている自分を想像していた。そこそこいいお値段の買い物でもあったし、なにしろ大きいし、暮らしが変わる期待があった。
ところが、見事に座らない。見た目は好きだし、来客時にクッションがないよりはあったほうが絶対いいので処分する気はまったくないけれど、自分は座らない。たまにネットで、飼い猫に豪華なキャットタワーを買ったのに、肝心の猫はamazonの段ボールに入るほうが断然楽しそうだ……というようながっかりツイートを見ることがあるが、自分自身がまさにそんな感じである。せっかくめちゃくちゃいいくつろぎクッションを手に入れたのに、相変わらずベッドでゴロゴロしたり、椅子に座ってダラダラしたりしているのだから、クッションを縫った人に申し訳ない。
くつろぎの時間、というのは、なんだか丁寧なイメージがある。お客さんを迎える、というのも、なんだか余裕のあるイメージだ。私の生活の中には、仕事orだらだらの2択しかなく、その中間のくつろぎとか来客とかの概念が欠落しているのかもしれない。もしも、ソファを置けるような広い部屋に引っ越すことがあったら、私はソファを置くのだろうか。居心地の良いリビングを、今度こそ作れるのだろうか。
まずはイメージが大切なので、最近は「理想のリビングはどんなリビングか」を、ときどきふと思い浮かべてみることにしている。壁紙は何色がいいか、ソファはどんなのがいいか、オットマンというやつを置いてみたいんだけどどうか……。何風で統一したら自分は落ち着くのだろうか。
そういえば、そんなことは考えたことがなかった。それ以来、居心地のいいカフェやラウンジに行くと、そこの何が自分を落ち着かせているのか、じーっと観察してしまう。照明がちょうどいいなとか、白い塗りの壁が古びているのがいいなとか、ソファがちょっとくたびれているのが遠慮なく座れる感じでいいなとか、意外なところにくつろげる要素があったりして、面白い。
広いことや、新しいこと、高価なことだけがいいことなのではない。頭ではわかっていたけれど、くつろぐということを考えると、そのことが体感としてじんわり身体に広がってくる気がするのだった。
ライター。編集者を経てフリーのライターになり、女性としての自意識に向き合った自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を上梓、「こじらせ女子」が2013年度の新語・流行語大賞にノミネートされる。 著書に、対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(ベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)など。