つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
東京を拠点に、さまざまな分野で活躍し、自分自身のスタイルで生活する女性を撮りおろした写真展がこの秋、始まります。
都市に生き、自身のクリエイティブな活動を発信する女性たちへのリスペクトを込めて、
そして多様な価値が共存する21世紀の豊かな暮らしに向けて、
プロジェクトのタイトルを「one ー “1” woman living in Tokyo」としました。
撮影は、今秋11月公開予定の映画『0.5ミリ』を手掛けた映画監督・安藤桃子さん。
彼女は東京、ロンドン、ニューヨークと世界の都市で暮らしてきた経験を持ちながらも、
今は高知県に引っ越し、映画というジャンルそのものをローカルな地で拡張し続ける、
今、最も注目を浴びている女性の1人です。
安藤さんに、今回のプロジェクトについてお話を伺いました。
1982年生まれ。高校時代よりイギリスに留学、ロンドン大学芸術学部を次席で卒業。その後ニューヨークで映画作りを学び、監督助手として働く。2010年4月、監督・脚本を務めたデビュー作『カケラ』が、ロンドンのICA(インスティチュート・オブ・コンテンポラリー・アート)と東京で同時公開され、その他多数の海外映画祭に出品、国内外で高い評価を得る。2011年に幻冬舎から初の書き下ろし長編小説『0.5ミリ』を刊行。現在、文庫版が幻冬舎から発売中。また、同作を自ら監督した映画『0.5ミリ』が2014年11月、「有楽町スバル座」ほか全国順次公開予定。
| 映画『0.5ミリ』公式サイト > | 安藤桃子ブログ >
| ゼロ・ピクチュアズ 公式サイト > |
今の時代、海外に住もうが地方都市に住もうが東京に住もうが、どこにいても関係ないくらいにテクノロジーが発達していて、どこでも仕事ができるし、人とつながることができる。こんな時代のなかで東京という大都会に住む時、一番大切になるのは帰る場所、「自分の巣=ホーム」だと思います。マンションの一室なのか、一軒家なのか、それは人それぞれですが、「自分の城」を持つ事は生活の中で心臓部分になる、といっても過言ではない気がします。
本当は大自然のなかで暮らしたいけれど、仕事の都合で都会に住んでいる人や、逆に都会に住みたいけれど山のなかに住んでいる人もいるかもしれない。自分のモチベーションを保ちながら、毎日を楽しく生きる為には、居心地のよい帰る場所が必要ですよね。東京は、ほぼ全てと言っていいくらい、人工的なもので出来上がっている場所。だからこそ、「家」のプライオリティは高いと思うんです。
生活だけじゃなくて、人そのものの核となる部分を支えているのが「家」だと思うんです。海外だとホームパーティーをしょっちゅう開くし、人を泊めることも普通だし、シェアハウスも昔からあたりまえですが、日本人の文化は違う。自分の住んでいる場所はいたってプライベートで、大切な宝箱みたいなもの。他人に家のなかを見せることは、自分の内臓をみせるようなもので、家がその人自身を物語るといっても過言ではない。家というのはそれくらい大切な場所だから、このプロジェクトは、けっこうハードルが高いことに挑戦しているのかなって思います。
女性が1人で暮らしていくことに対して、私はマイナスのイメージは持っていません。現代社会で女性が1人で生きることは、もはや普通。けっこう悠々自適に暮らしている人も多いと思うんです。具体的には、プロフェッショナルな仕事とアイデンティティをしっかり持った女性を、その人の家で撮りたいですね。人生の方向性が定まっている女性の家は、よりその人の個性やキャラクターが部屋に表れていると思うから。バリバリ仕事をしている女性でも、実は家のなかはキャラクターグッズだらけだったり。外側と内側のコントラストがはっきり見えてくるかもしれない。逆に、外から人に見られる家にしたい人だっているかも知れない。その人の存在と、インナーな(内側)部分を表現できたら面白いなと。
今回の撮影で捉えようとしているものは、「生もの」だと思うんです。生ものが、生のまま伝わるよりも、すこし捻りを加えられたらいいなと思っています。捻りや反転を加えることで、よりリアリティが出るのではないかと。私は映画監督なので、映画監督が写真を撮らせていただくことの意味は、そこにあると思います。撮らせていただく時は、ドキュメンタリー映画でもない、映画というフィクションのなかで、安藤桃子の眼を通した、よりリアルな写真を捉えられたらと思っています。
これからは、「自分で選べる」時代になると思ってます。例えば、今は結婚をする・しないも選択できる時代ですが、昔だったら社会的に「結婚せねばならなかった」。自分と言うものがしっかりあればある程、生きにくい社会だったんじゃないでしょうか。それがこれからは「ねばならぬ」が外れて、「なるがまま」の時代へと突入していくような気がしています。住む場所も、環境も、仕事も結婚も、全て「ねばならぬ」を外した生き方をすれば、もっと世の中楽になると思うんです。
最近、表現の世界がボーダレスになってきているなかで、プロフェッショナルとして生き残るにはどうしたらよいのか、という事も良く考えます。今は誰でもスターになれる時代ですから。その答えは、自分自身もボーダーレスになること、だったんです。映画監督だからといって、映画のことだけを考えるんじゃなくて、文化全般を考えて生きる。それは自分が生き残るためにも必要だと思うんです。
自分の仕事だけ考えていればよいという時代は、もう終わり。相手に思いやりを持てる、人の幸せに寝返る心の余裕が豊かな暮しを生む。私は映画の畑の人間だけど、だからこそ持てる視点があるならば、それをこの「one」のプロジェクトで生かしたい。どんな被写体、「人と家」に出会えるか今から楽しみです。