雨宮まみの大人気連載、第2シーズンは
「女が、ひとりで暮らすこと」を考えます。
ひとり暮らしの人はもちろん、“ひとりの時間”を過ごす、
すべての女性にそっと寄り添う“暮らし”エッセイ。
つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
モチイエ女子webにて、エッセイなど多数寄稿いただきました 雨宮まみさんがご逝去されました。心からお悔やみを申し上げます。 感謝と哀悼の意を込めまして、これまでの雨宮さんの作品、およびご出演いただいたコンテンツは、このまま掲載させていただきます。 どうか、ご愛読いただけますと幸いです。
雨宮まみの大人気連載、第2シーズンは
「女が、ひとりで暮らすこと」を考えます。
ひとり暮らしの人はもちろん、“ひとりの時間”を過ごす、
すべての女性にそっと寄り添う“暮らし”エッセイ。
「今年は、丁寧な暮らしがしたい……」。 疲れ切って行った飲み会でそう言ったら、いつもおしゃれで素敵な友達がこう言った。「まみさんの言う、丁寧な暮らしって、何?」。 そう問われてみると、はっきり言えないのだ。とりあえず、出かける5分前にあわてて眉を描いたり、お風呂上がりにボディクリームを雑に塗りたくったり、服を着て出てきてから「あっ、あのベルトと合わせれば良かったのに!」なんて後悔する生活じゃないことは確かだし、家で食事はおろか、コーヒーを飲もうとしても豆を切らしているような生活じゃないことは、わかる。
「なんか、きちんとしてるっていうか……余裕があるっていうか……」。しどろもどろに答えると、彼女はこう言った。「ネットを見る時間を減らせばいいんだよ!」。その通りである。当たり前すぎる結論なのだが、そうか、そこか……と、自分のだらしない時間の使い方を振り返って、地の底から空気が漏れてくるような深いため息が出た。 バタバタした暮らしをしていると、「お仕事、お忙しいんですね」と言われたりする。
仕事をしていないわけではないので、そんな「お忙しくて余裕がない人」的な気分にもなりそうになるが、誰より自分自身がそんなに何もできないほど忙しい毎日を送っているわけではないことは知っている。 確かに忙しいときもある。短い睡眠時間で取材に出なければならなくなり、適当なお化粧にラクさだけを追求した服装を身にまとって外に出たりすることもある。自分より忙しくても、自分よりずっときちんとしている人を見ると、自分のそういうところにガクッとくる。
「ちゃんとしてる人ってすごいねー、忙しくてもあんまり寝てなくてもセンスいい服着てお洒落にしてるんだねー。気合い入ってるねー」みたいな、どこか嫌味っぽい気持ちにはならない。自分だってそうしたいはずなのに、そうしたいと十年以上、いや二十年ぐらい思ってるはずなのにまったくできていないこと、実行しようという努力もしたことがないことに、ガクッとくるのだ。志のあまりの低さが見えてしまう。取材現場で地面にひざをついたりして動き回る仕事をしていても、動きやすいながらのお洒落をしている人が持っているであろう志が、はるか遠くの富士山のようにかすんで見える。自分は砂場で小山すら作る意志はない。
ひまな日でも、ネットを見ているだけでなんとなくだるくなり、疲れているときもある。指と目しか動かしてないのに、肩はいつの間にか凝っているし、動くのが億劫になってしまう。 特に何もしない一日だとしても、アイロンをかけたり、寝具の洗濯をしたり、靴やアクセサリーを磨いたりしていれば、一日の終わりの気分はどれだけ違うだろうと思う。
そんなに特別に素敵な一日を過ごせなくてもいい。ベランダでバラを咲かせたり、自分で作ったハーブを収穫したりしなくていい。ホームパーティーで手料理をふるまったりしなくていい。 どんな一日を過ごせれば、自分は「丁寧な暮らし」をしていると思えるんだろう。好きなカップでお茶を飲んだり、肩こりを放置せずに湯船に浸かってお風呂上がりにストレッチしたり、お気に入りのせっけんの薔薇の香りを胸の奥まで吸い込んだり、気になっているはげかけたマニキュアを塗り直したり……そんなことだろうか。
どれもいつでもできることなのに、お気に入りのカップは受け皿を洗うのがめんどくさくてマグカップで済ませてしまうし、湯船に浸かってもお風呂の時間なんて30分も変わらないだろうに、その30分の時間がないような気がして、入らずに済ませてしまう。はげかけたマニキュアは、塗りなおさなくてもせめて落としてしまえればいいのに、帰ってすぐには落とさない。なんだか億劫なのだ。
そう、すべてがなんだか億劫で、自分の面倒を楽しんで見ることができない。 疲れて帰ってきたんだから、仕事して疲れてるんだから、自分の面倒ぐらい放棄させてくれ、みたいな気持ちを、私は持っているのだ、と思った。 だから、ネットを見たり、録画した番組を見たり、自分のことを忘れて時間を過ごせる娯楽に没頭する時間はあるのに、マニキュアを落とすほんの数分が取れなかったり、するのだ。 自分の面倒を見ることが、私にとっての丁寧な暮らしだとしたら、私は何をすればいいのだろう。
思いつくのは、五感を楽しませることだ。 いい香りだったり、いい感触だったり、いい音楽だったり、そういうものに触れているだけで、自分は豊かな生活をしていると感じられる。 窓を開ければ季節の風が入ってくるし、カーテンを開ければ陽射しがある。すっかりつけることを忘れていた香水も、持っている。化粧品だって好きな香りのを選んでいる。感じ取ろうと思えばそこに、すぐ手の届くところに豊かなものはあるのに、それを感じ取ることができない。 それが、私ががっくりきている「丁寧じゃない、貧相な暮らし」の本質なんじゃないかなぁ、という気がした。
ライター。編集者を経てフリーのライターになり、女性としての自意識に向き合った自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を上梓、「こじらせ女子」が2013年度の新語・流行語大賞にノミネートされる。 著書に、対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(ベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)など。
プロフィール写真=松沢寫眞事務所 / イラスト=網中いづる