![モチイエ女子 住にまつわる楽しいコンテンツ](../../common/images/nav_top_head_1.png)
つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
モチイエ女子webにて、エッセイなど多数寄稿いただきました 雨宮まみさんがご逝去されました。心からお悔やみを申し上げます。 感謝と哀悼の意を込めまして、これまでの雨宮さんの作品、およびご出演いただいたコンテンツは、このまま掲載させていただきます。 どうか、ご愛読いただけますと幸いです。
雨宮まみの大人気連載、第2シーズンは
「女が、ひとりで暮らすこと」を考えます。
ひとり暮らしの人はもちろん、“ひとりの時間”を過ごす、
すべての女性にそっと寄り添う“暮らし”エッセイ。
家を「買える」と思ったことは、一度もなかった。
東京都内でマンションを買うとなると、とても自分には手が届かない金額になると思っていたので、お金の問題で無理、というところで考えが止まってしまい、それ以上考えたこともなかった。
私と同じように、多くの人にとって「家を買う」「マンションを買う」ことは「手の届かないこと」であり、「自分とは関係のないお金持ちのすること」なのではないだろうか。
しかし、かといって「じゃあ一生賃貸に住む」と思っているわけでもない。一生賃貸かぁ……という気持ちもどこかにある。自分のものにもならない部屋に、決して安くはない家賃を払い続ける生活が一生続くのかと思うとうんざりする。「だったらローンを組んだほうがいい」という言い分ももっともだとも思ったりする。
もっともだけど……じゃあ、家を買うかというと、まったく何にも思い浮かばない。どの程度の値段の家なら身の丈に合ってると言えるのか、どの程度の広さの家ならある程度満足して住めるのか。それを考えるのは、ちょっと怖い。「買う」ことが、一生に何度もできるとは思えない。すごくがんばって想像しても、せいぜい一回だ。
となると、妥協はできない。でもお金はそんなに出せない。広々としたウォークインクローゼットや、書庫が欲しいなんて夢のようなことを漠然と思っていても、実際問題、それは難しい。となると、「いまいちな家に毎月ローンを払い続ける」生活しか思い浮かべることができなかった。
一度だけ、住んでいたアパートの近所のマンションの部屋が中古物件で出たので、試しに見に行ってみたことがある。3000万ぐらいのその部屋は、古く、水周りはリフォームされているとはいえ、トイレは狭いし天井は低いし、なんだか気の沈む物件だった。理想とはほど遠かったし、妥協できる範囲からも外れていた。
3000万も出してこの程度なのか、と思うと、家を買うことはもう、諦めるしかない難事業に思えてしまった。
ただ借りるだけでも、いい部屋を探すのは至難の技なのだ。私にとって、家のことを考えるのは、借りるのも買うのもただひたすら気が重くなることだった。
そんな認識が変わった瞬間があった。年下の友人が、買う気で中古物件を探し始めたのである。
彼女の好みははっきりしており、古いのはOK、むしろ古さに味わいのあるマンションが良くて、予算も最低限の面積もはっきり決めている。条件に合う、気に入ったマンションが見つかれば、どのようにリノベーションするかも考えていた。
「ウィリアム・モリスの壁紙を貼りたい」と話し、週末ごとに不動産屋さんと物件めぐりをする彼女の姿勢には一点の曇りも迷いも不安もなく、ただただ楽しそうなのだ。
それはまるで、東京という物件が山ほどある街で宝探しをしているようでもあり、彼女にとってその「宝」は、決して見つからないものではなく、丹念に探せば必ず見つかるだろう、という感じのものなのだった。
ほんの十年前までは、独身の女性がマンションを買うというと、それは「結婚を諦めたことの象徴」だと受け止められていた。今だってそうなのかもしれない。
男女ともに結婚していない人の割合は年々増えているというのに、「独身」はあくまでもモラトリアム的な、一時的な状態として扱われる。「結婚するかもしれないから」「子供を持つかもしれないから」、一人で暮らすための家なんか買うべきではない、という考えが、世間でも、独身者本人の中でも根強い。
そんな中で、「自分好みの家に住みたいし、買うなら早く買ったほうがローンが楽」と、当たり前のように家を探しに行く彼女の姿は、私の価値観をひっくり返すのには十分だった。自分の望みが何か把握し、自分の城を好きな感じに整えるビジョンを持っている彼女を見ていると、結婚がどうとか子供がどうとかいう話は、あまりにもナンセンスで、ばかげた話に思えた。
自分の好みの家を買えるなんて、ただただ嬉しいことじゃないか、と、私はそのとき初めて思えたのだった。結婚がなんだ。子供がなんだ。人生、何が起きるかわからないけど、何も起こらないかもしれないのだ。将来のことを考えるのは大事だが、今の自分の人生をできる範囲で充実させることを考えるのも、同じくらい大事じゃないのか。独身がモラトリアムなら、私はそのモラトリアムを20年近く生きている。こんなのもう、モラトリアムなんかじゃない。立派に「私の人生」である。
賃貸は気楽だし、賃貸には賃貸のいいところがある。けれど、買えば、一生こんなそっけない白い壁紙の部屋に住まなくてもいいかもしれないのだ。
たったそれだけのことが、私にはとても魅力的なことに思えたし、老後も、住むところさえあれば少しは安心できる。そんなことももちろん考えた。
今の家は、分譲マンションを買った人から、私が借りている。ということは、持ち主は私の払う家賃を毎月受け取っているわけで、こんなに羨ましい立場はない。
「家」という「財産」を持っているというのは、いいことかもしれない。急に、前向きにそう思えてきたのである。
(次回に続く)
ライター。編集者を経てフリーのライターになり、女性としての自意識に向き合った自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を上梓、「こじらせ女子」が2013年度の新語・流行語大賞にノミネートされる。 著書に、対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(ベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)など。
プロフィール写真=松沢寫眞事務所 / イラスト=網中いづる