![モチイエ女子 住にまつわる楽しいコンテンツ](../../common/images/nav_top_head_1.png)
つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
モチイエ女子webにて、エッセイなど多数寄稿いただきました 雨宮まみさんがご逝去されました。心からお悔やみを申し上げます。 感謝と哀悼の意を込めまして、これまでの雨宮さんの作品、およびご出演いただいたコンテンツは、このまま掲載させていただきます。 どうか、ご愛読いただけますと幸いです。
雨宮まみの大人気連載、第2シーズンは
「女が、ひとりで暮らすこと」を考えます。
ひとり暮らしの人はもちろん、“ひとりの時間”を過ごす、
すべての女性にそっと寄り添う“暮らし”エッセイ。
服装の乱れは心の乱れ!なんてことを言う教師が、私が学生だった頃にはまだまだ山ほどいたものだが、部屋の乱れは心の乱れ!と思っている人は、けっこうな割合でいそうだ。
私は、部屋が散らかっていることに落ち込むとき、単に「片付けがめんどくさい」「疲れていて何もする気が起きない」「散らかっている部屋を見るのが苦痛」などの気持ちのほかに、「こんなに散らかった部屋で生活している自分自身」への自己嫌悪が含まれていることがよくある。汚い部屋を映すテレビ番組をついついじっくり見てしまうのは、「あ、こんなに汚い部屋の人がいる。うちはまだまだ綺麗なほうだ」と安心したいからじゃないだろうか。自分は、人と比べてまだましなんだと。
人の部屋を見る機会は、私はあまりない。最近はSNSで人の部屋の写真を見ることも増えたが、友達と家を行き来することはそれほど多くない。なので、秘められた「部屋」が、どんな姿をしているのか、全貌を知る機会はあまりなく、シンプルな人はきっとシンプルな部屋に住んでいるのだろうな、というように、人と部屋を重ねて想像することをやめられずにいる。
想像の中では、みんな、自分よりもきちんと片付いた部屋や、ものが散らばっていてもなんだかいい感じの部屋に住んでいるように思える。
でも、それとは真逆のような説もある。それは「綺麗な人の部屋は散らかっている」という説だ。
綺麗に装うための化粧品、服、小物は決して少なくないから、綺麗に装っている人の家にはものが多く、従って散らかりがちだという説である。そう言われてみればそうかもしれない。ものが大量にあふれた部屋から、髪のツヤからサンダルのつま先のペディキュアまで完璧な女性が小さなクラッチバッグなんかを片手に出てきたら、その装いのためにどれだけのものが必要なのか想像して、納得してしまいそうだ。
「少ないものでお洒落な人」もいるけれど、服が大好きな人はやっぱりたくさん持っていることのほうが多いし、それに合わせて靴やバッグも増える。研究熱心な人ならば、雑誌や写真集なども増えていくだろう。ものが増えて当然である。メイクだって、たいしてきちんとしない自分でさえそれなりの道具は持っているのだから、凝る人であれば引き出しの一段や二段、棚のひとつやふたつ分、あったって全然おかしくない。そういう光景を想像すると、それが一般的には「散らかっている」状態だとしても、なんだか微笑ましく感じる。好きなものを一途に集めた、その人の部屋のありようが、いいものに思えるのだ。
『レディ・レッスン ポジティブガールの教科書』(ケリー・ウィリアムズ・ブラウン著)という本の「暮らし」の章に、インテリアのコツについて書かれている部分がある。
「どんなインテリアがいいのかさっぱりわからないなら、自分のクローゼットの中身を分析するのがおすすめです。『住人とインテリアの雰囲気は一致する』とは、知り合いの中でもっとも美しい部屋に住む友人キャロルの言葉です。クローゼットには、大胆な原色が多いですか?それとも無難な中間色?デザインは古風な定番タイプ?装飾が凝っている?超シンプル?服の好みとインテリアの好みはだいたい似ています」
これを読んだとき、「なんでこんな当たり前のことに、いままで気づかなかったんだろう」としばし放心してしまった。ずっとわからないと思っていたことの謎が、たった数行で難なく解けてしまったのだ。「言われてみればそうだ」ということなのだが、言われるまで、そこには思い至らなかった。「服とインテリアは別のもの」と強く思い込んでいたからだろう。身につけるものなのか、つけないものなのか、という違いも大きいと思っていた。 このことにもっと早く気づいていれば……。これまで試行錯誤してきたことのうちの、「誤」の部分はだいぶ減らせたのではないか。
でも、十代や二十代の頃、私の服装はしっちゃかめっちゃかだった。「いつも違う格好してるね」とよく言われたし、そう言われるくらい、傾向がバラバラな服を着ていた。もちろん、様々なテイストの服をトータルでコーディネイトできるほどのセンスもお金もなかったので、どこかちぐはぐで、おかしな印象になっていた。三十代も終わりに近づいた今になってようやく、「これは確実に好き」「飽きずに好きでいられる」というものの片鱗がわかり始めた程度で、とてもじゃないけど「自分のスタイルはこれ」と言えるものなんて、見つかっていない。
見つけられたらきっと、無駄の少ない生活ができるのだろうけど、それをはっきり見つけることは、少し怖い気もする。見つけて、ブラッシュアップしたり、年齢に応じて少しずつ変化していければいいけれど、「これが自分には似合う」と決めてしまったら、そこで安心して立ち止まってしまいそうだ。特に、自分が怠け者だと知っている身には、そう思える。 そのときどきで、似合う服、好きな服が変わっていくように、好きなインテリアも変化していくものだと思うし、それでいいのだと思う。 「これ!」とはっきり決められない、まとまりのなさの残る部屋が「自分らしさ」ということなのかもしれない。それは、少しみっともないものだけれど、今後の変化の余地なのだと思えば、そんなに嫌なものだとも思えないのだ。
ライター。編集者を経てフリーのライターになり、女性としての自意識に向き合った自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を上梓、「こじらせ女子」が2013年度の新語・流行語大賞にノミネートされる。 著書に、対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(ベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)など。
プロフィール写真=松沢寫眞事務所 / イラスト=網中いづる