![モチイエ女子 住にまつわる楽しいコンテンツ](../../common/images/nav_top_head_1.png)
つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
モチイエ女子webにて、エッセイなど多数寄稿いただきました 雨宮まみさんがご逝去されました。心からお悔やみを申し上げます。 感謝と哀悼の意を込めまして、これまでの雨宮さんの作品、およびご出演いただいたコンテンツは、このまま掲載させていただきます。 どうか、ご愛読いただけますと幸いです。
雨宮まみの大人気連載、第2シーズンは
「女が、ひとりで暮らすこと」を考えます。
ひとり暮らしの人はもちろん、“ひとりの時間”を過ごす、
すべての女性にそっと寄り添う“暮らし”エッセイ。
お正月から少しずらして、実家に帰省した。空港に行ったり、新幹線に乗ったりすると、私は元気になる。「九州女は移動してないと死ぬ」というのが私の持論だが、移動するだけでちょっとしたバカンスと同じくらいの効果が得られる。実家……は正直、旅行とは違うので、新鮮さや刺激で元気になるかというとそうでもないけれど、それでも元気になれる瞬間がある。
それは、家に帰ってきた瞬間だ。
遠出するとき、私は荷造りのあとで必ず掃除と洗濯をする。へとへとで帰宅し、旅の洗濯ものが溜まってる状態でイライラしたくないから、と思って始めたことだったのだけど、最近は帰ってくるたびに、自分の好きなものだけが置いてあって、片付いている自分の部屋って、やっぱりいい、とすごくほっとする。
その「ほっとする最高の瞬間」のために、今は旅立ちの前の掃除をしている気がする。片付けておくと、帰ってきたときに「今日はちゃんとポットもカップも温めて紅茶を淹れてみようかな」とか、「旅の荷物を片付けるついでに、飽きちゃった服を処分してしまおうかな」とか、普段めんどうでなかなか手を出さないことにすっと手が伸びたりする。荷解きもすぐやる。
出かける前に活けていた、きっと枯れてしまうだろうと思っていた花の最後の蕾が開いて、まだみずみずしく咲いていたりするのも、思いがけず嬉しい気持ちになる。
日常を過ごしている場所。普段は雑事をこなすのに精一杯で目に入っていなかったことが、旅のあとではしっかり目に入ってきて、おおげさだけど天国に帰ってきたんじゃないかと思うのだ。
自分で選んだものではないものが並ぶ場所にしばらくいると、自分の空間、自分のベッド、自分のクローゼット……自分の場所というものが、ささやかでもどんなに素晴らしいものか改めて気がつく。誰にも気兼ねせずにいられる部屋でこれから過ごせることが嬉しくなる。
そうした「ひとりの時間」というのは、実際よりもずいぶんみじめで寂しいものとして強調されがちな気がする。のびのびしていて、気楽で、何をしても良い自由な時間なのに。なるべくその時間を充実させたい、と思う気持ちもわかるけれど、思い切り気を抜いて過ごすのも捨て難い。
どちらを選んでも、誰にも責められることなんてないし、そもそもひとりなのだから、どんな過ごし方をしているかなんて誰にも知られない。
もしかしたらその「誰にも知られない」ということが、まるでブランクのようで気持ち悪くて怖い、誰かに見られる緊張感がないから、果てしなく自堕落になってしまいそうで怖い、という気持ちを生むのかもしれない。
自堕落は、素敵なことではないけれど、私はわりと好きだ。たまには、やりたい。
旅立って帰ってくるたび、不思議と、小さく生まれ直すような感覚がある。
遠くに行くときに選び取ったもの、遠くで手に入れて家に持ち帰ってきたものから、自分が求めているものが見えてきたり、帰ってきた瞬間に「これはもう私には必要ない」というものがはっきりしたりする。
家の外の世界で見てきたもの、体験した別の生活で感じたことを家の中に持ち込んでいるのだ。旅先で買った新しいマグカップ、小皿、ときには気に入ればベッドカバーやシャワーカーテンまで持ち帰ってくることがある。
ひとりの空間、ひとりの暮らしであっても、生きている以上、常に外の世界から何かを持ち込んで、生活を少しずつ作り変えながら暮らしている。空気を入れ替えるようにして、部屋も自分も変わってゆく。
人と関わらなければいけない場面のほうがずっと多いのだから、影響や刺激を受けすぎて疲れたときなど、私はひとりの時間が必要だと感じる。誰も一緒にいてくれる人がいないから仕方なくひとりとか、そういうものではなく、ひとりでいたいのだ。
「ひとりでいたい」という言葉には、まるで周囲の人とのコミュニケーションを拒むようなニュアンスがつきまとう。でも、そうじゃなくて、心地よい距離のコミュニケーションを持つために、私はひとりの時間が必要なのだ。
拒んでいるのではなく、新たなものや人を受け入れるためのひとりのスペースと時間を、私は持ちたいと思っている。
ライター。編集者を経てフリーのライターになり、女性としての自意識に向き合った自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を上梓、「こじらせ女子」が2013年度の新語・流行語大賞にノミネートされる。 著書に、対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(ベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)など。
プロフィール写真=松沢寫眞事務所 / イラスト=網中いづる