![モチイエ女子 住にまつわる楽しいコンテンツ](../../common/images/nav_top_head_1.png)
つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。
いったい誰がそんなことを決めたんだろう。
女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?
そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。
家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。
そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。
モチイエ女子webにて、エッセイなど多数寄稿いただきました 雨宮まみさんがご逝去されました。心からお悔やみを申し上げます。 感謝と哀悼の意を込めまして、これまでの雨宮さんの作品、およびご出演いただいたコンテンツは、このまま掲載させていただきます。 どうか、ご愛読いただけますと幸いです。
“なんとなく買ったもの”に囲まれた毎日を抜け出して、
愛着溢れる“理想のお部屋”で生きていきたい。
そんな女性に送る、雨宮まみの情けなくも前向きな
“暮らし”エッセイ。
人の部屋を見るのが好きだ。よく、本棚やCD棚を見るのが好きだという人がいるが、私は部屋そのものを見るのが好きである。どんなものが好きで、どんな雰囲気が好きなのか、部屋はその人にとって、どの程度重要な場所なのか、快適さや美しさ、どういうものを大事にして暮らしているのか……。その人なりの基準が見えてくるのが面白い。
すごくすっきりした部屋や、信じがたいほどお洒落な部屋もある。そして、不思議と「なんだかくつろいでしまう部屋」というものもある。
私は18歳まで、よくある5階建てのエレベーターのない公団に住んでいた。間取りは階段を挟んで左右対称という差があるだけで、すべて同じである。同じだけのスペースに、夫婦だけで暮らしている人もいれば、家族5人で暮らしている人もいる。老人もいれば、赤ちゃんがいる家もある。当然、暮らし方もみんな違う。
同じ公団に住んでいる友達の部屋にはよく遊びに行った。そして、その中に気になる部屋があった。
父と母の友人だった、シバタさんという人の部屋である。
シバタさん夫婦は、なんかちょっと、かっこいいご夫婦だった。私の両親よりも少し年上だったように思う。旦那さんはレイバンのタレサンがよく似合っており、古いスカイラインに乗っていた。まるで西部警察のようだった。
そして奥さんは、長めのボブヘアで、重めに前髪を作っていた。サングラスもよくかけていたと思う。田舎の団地でそんな人は珍しかった。私は奥さんのことを「シバタのおばちゃん」と呼んでいた。
二人には子供がおり、上が娘さん、下が息子さんで、息子さんが私よりも1つか2つ年上だった。家族ぐるみで親しくしていて、一緒にみんなで旅行に行ったこともあった。
シバタのおばちゃんは、たまに小学校帰りの私を見かけると、階段の踊り場からヒョイッと顔を出して、少しハスキーな声で「今帰りね~?ちょっと寄っていかんね?」と声をかけてくれることがあった。
誘われるままにのこのこ遊びに行くと、まず、うちとは違う光が目に入る。同じ方角を向いた部屋なのに、シバタさんの部屋は、そんなに明るくないのだ。ありがちな「白いレースのカーテンに、もう一枚明るい色のカーテン」という組み合わせではない、なにか染めの入った布のカーテンがかかっていた。それがいい具合に陽の光をさえぎって、落ち着いた雰囲気になっているのだった。
テーブルは焦げ茶の木製で、民芸風のもの。ベンチのようなものが窓辺にあって、やはり染めの入った薄い座布団が置いてあった。
「なんか飲むね?」
そう言って、うちでは飲ませてもらえないコーヒーを出してくれる。私は厚手の小石原焼のカップを両手で抱えて、一生懸命冷まして飲む。ソーサー付きのカップなんて、自宅では出してもらったことがない。インスタントのコーヒーだったと思うが、それが妙においしかった。
シバタのおばちゃんが作り上げた部屋は、なんとも大人っぽく、喫茶店みたいだった。もちろん、当時の私は喫茶店なんてほとんど知らない。あとから思い出してそう思うだけだ。温かみがあって、落ち着く空間。狭い公団で子供が二人いれば、広々しているはずがないけれど、落ち着いた色調でまとめられていて、ムードがあって、私はそこが大好きだった。
帰り際にはいつも何か、お菓子とか小さなマスコットとか、そういうものを持たせてくれた。そしてやはりちょっとハスキーな声で「あんたは何かやらんと帰らんけん」と、照れ隠しに言うのだった。
居心地のいい部屋のことを考えると、シバタのおばちゃんの部屋を思い出す。
私はインテリアの雑誌や、お店を見てはいつも「広い部屋っていいな」「シンプルな部屋っていいな」「こういうインテリアって素敵だな」とぼんやり思っているが、「居心地のいい部屋」というのは、そういうこととはまた別の価値観の軸のもとに存在している気がする。
もちろん、お洒落でなおかつ居心地が良い、というふうに共存していることもあるが、居心地の良さというものは「こういう色味が居心地のいい部屋です!」「こういう家具の配置が居心地の良さを感じさせます!」というように、何らかの法則ではっきり説明できるものではないように思う。
自分にとって居心地のいい部屋は、さすがにわかっているつもりでいた。けっこうな年数、一人暮らしをしているのだから。けれど、改めて「いまの部屋は居心地がいいか?」と考えると、どうなんだろう? と考えこんでしまう。もちろん悪くはない。でも欲を言えばソファでくつろいだりしたいし(うちにはソファがない)、冬は身体が伸びるくらいあったかい部屋であってほしいのだが、エアコン以外の暖房器具の決定版がなく、オイルヒーターやハロゲンヒーター、こたつに電気ひざかけをとっかえひっかえしている状態だ。
よくよく考えてみると、仕事をするか、寝るかのどちらかで、純粋にくつろぐ時間というのがそもそもあまりないのでは、と気づいてガーン! となってしまった。部屋というより、私の生活は一体……。
とりあえず、ただ置きものと化している大きなクッションに座って、友達からお土産にもらった台湾のおいしいお茶でも淹れて、ストレッチをしたりする時間を作っていきたいものである。家にあるものを活用して、床に座ってみたり、椅子をどこに置くか考えたり、そういう実験をしてみるうちに、自分なりの居心地の良さが見えてくるといい。
ライター。編集者を経てフリーのライターになり、女性としての自意識に向き合った自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を上梓、「こじらせ女子」が2013年度の新語・流行語大賞にノミネートされる。 著書に、対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(ベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)など。
プロフィール写真=松沢寫眞事務所 / イラスト=網中いづる